摂食障害~転校編~

高校二年の秋、通信制へ転校しました。通信制は主にレポートを自宅でやり、それの提出とテストを受けるために月一回登校がありました。

なので自宅にいる時間がほとんどです。

 

私はもともと人と関わることが得意ではありませんでしたが、体形のことも気になってしまいすっかり引きこもりになってしまいました。

バイトもせず、遊びにも行かずただずっと家にいました。

 

普通科高校に通っていたころ、仲の良かった子も同じタイミングで転校し月に一回その子とは会っていました。 

 

家では父が抗がん剤や治療のために仕事を長期休暇していつも一緒にいました。

といっても体調の良くない父は自室でほとんど休んでいました。

体調がいい日はドライブやショッピングに誘ってくれましたが、太った体を見られたくない私は全て断っていました。

父はどんどん体調が悪くなっていきました。私はだんだんと動けなくなる父をただ見ていることしかできませんでした。まだ動けた頃の誘いを全て断ってしまった事は今でも凄く後悔しています。 

 

高校三年の冬父は寝たきりになりました。トイレも管、お風呂もは入ることができなくなり歯磨きも寝返りも介助でした。

周りは進路が決まりそれに向けて動いていましたが、私は色々落ち着くまで父のそばにいようと決めました。 

この頃には母も介護休暇でずっと家にいました。 

高校は無事何とか卒業することができました。それと同時に私は食べて吐く、過食嘔吐に陥りました。

初めのうちは普通の食事を吐くようになり、だんだんと大量に買い込んでは詰めて吐くようになりました。

家には両親がいつもいたので、ばれないように買い込んだものは自室に運び、みんなが寝静まったころ詰めて嘔吐していました。

父がもう長くないのに私の頭の中は過食嘔吐の事で一杯でした。私は最低な奴だ。私が死ねばいい。くずデブ消えろ!いつも申し訳なさと過食嘔吐の衝動に押しつぶされそうでした。

苦しい、誰か助けて、、、、ごめんなさい、そう思いながら詰めて嘔吐を繰り返しました。

高校を卒業した年の6月父はなくなりました。 

 

父がいなくなった。という実感はなかなか飲み込めませんでした。いつもの時間に玄関から帰ってきそう。変な感じでした。

 

私の過食嘔吐は日に日に酷くなるばかりでした。

次回は卒業後の事と母へのカミングアウトについて書きたいと思います。 

ではまた。