摂食障害~病院脱走、自殺未遂編~

入院中はとにかく不安で仕方ありませんでした。

何のための入院なのかも説明はありませんでした。

主治医との会話は週に一回5分程度でした。食事にはほとんど手をつけませんでした。それについても何も言われませんでした。

 

私は「わからない。」ことについてとても不安と恐怖を感じてしまいます。理由がわからない、説明がないはとても苦手です。入院中は常にその状態なのでとても苦しかったです。

痩せすぎて、身体もしんどく、入院でメンタルもやられてしまった。

スマホでずっと死ぬ方法や、一緒に自殺募集などをずっと見ていました。

 

二週間くらい経ったある日の朝、「よし!今日脱走して飛び降りて死のう!!」と何かが切れて、死ぬことに何の恐怖もなく、死んでしまおうと前向きになりました。

 

一日一回、散歩の時間があり看護師付き添いの元院内を歩くことができました。その時がチャンスだな。と考えていました。

スマホとノートに遺書と手紙を書いて準備をしました。

 

やっと終わりにできる。

もう食べ物や痩せることについて悩まなくて済む。

苦しまなくて済む。

現実も見なくて済む

解放されるんだ。

死んで終わりにすること以外、何も考えられなくなっていました。親が悲しむとか、周りに迷惑がかかるとか全く頭にありませんでした。逆に清々しい気持ちでした。

 

散歩の時間になって、院内の中を歩きました。出口の近くに来た瞬間、看護師の手を振り切って走り出しました。後ろで何か叫ばれていましたが、そんなの無視。

途中私を止めようと立ちはだかる人もいて、上着をつかまれました。全力で振りほどいてとにかく外に向かって走りました。

 

死に方は高いビルから飛び降りようと考えていました。

 

とにかく病院から離れるために、全力で走りました。追ってくる人もいましたが何とか逃げ切りました。

ビルを探していたら外の非常階段がついていて、屋上まで上がれそうなビルを見つけました。

 

あそこにしよう。

 

階段には鎖がしてありましたが、またいで上まで登りました。

予想どおり、屋上に出ました。

 

結構な高さもあるしここならいけそうだな。

 

淵に立ってみると下がよく見えました。下は土ではなくコンクリ。確実に行ける。

 

よし。

 

目をつむって飛び降りようとしました。

 

その瞬間後ろから「あの、、、だいじょうぶですか?」と声がしました。

凄くびっくりしました。だってビルの屋上は休むようなスペースではなく、空調の機械や貯水タンクなどが並んでいる、普通なら人が来ないようなスペースでした。  

 

振り返ってみたら、作業着を着て、ヘルメットをかぶったおじさんがいました。

怪しそうにこちらをうかがってました。

人がいるなんて思っても見なくて、外のくうきがすいたくて、、、、なんてわけのわからないことを言いました。

 

さすがに人前で飛び降りるのは気が引けたので、おじさんがいなくなるまで座って待つことにしました。

 

おじさん怪訝そうにしながらも、作業を再開しました。

おじさんの作業を見たり、空や街を眺めた過ごしました。ビルからは、私を探す看護師さんたちの姿も見えました。ざまあみろと思いました。

5分くらいた経って、最後に母に謝っておこうかなとふと思いました。

 

でも私は、逃げてくるときに携帯を落としてきてしまったので電話はできませんでした。だからおじさんに「携帯って借りられませんか?」と声を掛けました。

 

おじさんはすごく怪しんでました。「スマホはないけど、、、、」といかにも会社の携帯って感じのガラケーを貸してくれました。

 

どうせ最後だしなんでもいいやと思って借りました。母に電話を掛けました。

 

母は日中は仕事で、電話になんて出ないのにその時はすぐに出ました。

私が脱走した話は行っていたらしく、「いまどこにいるの!!」と焦る声が聞こえました。

 

「今ビルの上にいてこれから死ぬところ。」そう伝えました。

 

「そこに行くから場所を教えなさい!」と返ってきました。

 

家から病院までは、車で30分はかかるのでそこまで待たないと思いました。でも母は私に着替えを届けるために休みで、病院まで来ていました。 

 

私は無理やり入院させた母に恨みがあったので、目の前で飛び降りるのもいいと思い場所を教えました。

5分位して母が屋上にやってきました。「馬鹿な事は辞めなさい!」と言われました。

私は「無理やり入院させて、面会でもろくに取り合ってくれなかった母を恨んでる」といいました。

摂食障害や心の病気に悩み、苦しむのはもう嫌だ。終わりにする」。と言いました。

 

「退院していいから話し合おう」と言われました。すごく、怒り焦っていました。

普段怒ったり、感情をあまり表に出さない人なので少しびっくりしました。

 

「嘘じゃないね?これで戻ったらまた保護室に入れたりしない?もしそうなら今すぐここから飛び降りる」もう絶対にあそこには戻りたくありませんでした。

 

「嘘じゃない!お母さんが先生に言って今日退院させるからこっちに来なさい!」

とにかく母は必死でした。

母の言葉を信じるかどうかすごく迷いました。迷った挙句、飛び降りは辞めました。

屋上の淵から降り、母と病院に戻りました。

 

嘘だったら今度こそ死んでやる。と警戒しました。院内には入らず車で待つことにしました。母は主治医と話しに院内に戻りました。

 

一時間くらいして、母が入院の荷物を持って戻ってきました。

家に帰ろう。そう一言言われました。

 

とてもほっとしました。

 

家に帰ってきて母と話し合いました。もう同意のない入院はさせないこと。を約束してもらいました。

 

こうして私の自殺計画は幕を閉じました。

 

屋上に人がいたこと、母がたまたま休みで病院まで来ていたこと。どちらかが欠けていたら私は今この世にはいませんでした。今生きてることは偶然と奇跡が起こしてくれたんだ。と今は思います。

 

あの時死ななくてよかった。

 

この後の事はまた次に書きたいと思ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

2月27日ほめ日記

・洗濯をした

・三日ぶりにお風呂に入れた😅

・夕飯を作った

 

またまた久々の日記更新です💦

先週は気温の変化が大きく、気持ちが安定しませんでした、、、、

 

26日は内職を午前午後と頑張れました!

祖母のお見舞いにも行きました。とても喜んでくれました。

引きこもりなのでなかなか会いに行かれませんが、これからはもう少し頑張って会いに行こうと思いました。

 

今日は朝から内職の仕上げがあったのですが、体調すぐれず母に手伝ってもらいました💦

仕事は最後まできちんと責任もってやらなければいけないのにダメですね、、、、

少し回復してからとても反省しました、、、、

 

今日はできることが少なく、ほぼ横になっていましたがその中でも、お風呂と洗濯は頑張れて偉いぞ!私!!

少しでも行動し、できたことに目を向けよう🌸ちゃんとやれてるから大丈夫だよ。

 

体調が悪いときは誰にでもあるさ!明日また切り替えていこうね☆

 

皆さんも忙しいとは思いますが、心だけは守ってください。

ではまた。

 

2月22日ほめ日記

・朝から内職を頑張った

・お昼をおいしく食べられた

・母と楽しくショッピング、会話ができた

・姉の誕生日プレゼントを買いにいけた

・午後も内職を頑張れた

・犬の散歩二回ちゃんと行けた

・温泉に行ってリラックスできた

・その日のうちに日記の更新ができた

 

昨日は夕飯も作れず夕方からダウンしていました、、、

今日は気持ちを切り替え、沢山行動出来ました!

引きこもりですが、今日はショッピングに行ってちゃんとその時間を楽しめました。

姉の誕生日プレゼントも良いものが買えてうれしいです!

仕事もできたし、犬との時間も過ごせて今日の私すごいじゃん!!

夜は温泉にも行っちゃって凄すぎ!!!

 

夜の過食嘔吐は相変わらず、、、、大きな課題です。

沢山頑張れた次の日は反動が大きいので落ちすぎずゆったり過ごせるといいな。

 

皆さんはどんな一日でしたか。ではまた。

2月20日ほめ日記

・体調がすぐれないが通院できた

・主治医とカウンセラーさんに上手く気持ちを話せた

・お昼をおいしく食べられた

・お菓子つくりをできた

 

久しぶりの日記になってしまいました汗。すみません。

ここ最近天気が急に変化したり、心のバランスが崩れたしまったりでなかなか更新できませんでした。

不安と恐怖にかられ、生きてることを、自分の存在を責められているような、否定されているような感覚が抜けず大分苦しかったです、、、、

起き上がれない日や、泣きわめく日、リスカをしたり、過食嘔吐を繰り返したり生活リズムもはちゃめちゃでした、、、、

 

少し落ち着いてきたのでまた更新を頑張りたいです。

 

20日は通院日でいつもは気持ちをうまく言葉にできなかったりするのですが、今回はうまく話せて偉いぞ!私。

 

お昼もきちんと食べられたし、帰ってきてからも色々と行動出来ました。頑張った!

ブログも再開できたしやるじゃん!私!ちょっとずつ頑張ろうね!

 

皆様も体調管理には気を付けて、無理な時はゆっくり休んでください。

時間はかかるかもしれないけど、ちゃんとまた立てる日が来るので、それまではちょっと辛いけど、少しでも心が楽になることをしてみたください。 

 

ではまた。

摂食障害~三つ目の病院二人目の主治医~~

主治医を変え、通院服薬はしっかりとしていましたが過食嘔吐が良くなることはありませんでした。

164センチ、34キロ。がりがりです。ですが、当時は痩せてるなんてちっとも思いませんでした。

摂食障害の怖いところは、自分では気づけない、自分が病気だと受け入れられない。も大きくあると思います。当時の自分もそうでした。

 

この身長と体重はとても危険です。いつ死んでもおかしくない状態です。急に心臓が止まったり、寝ている間に息が止まるなどのリスクが、とても大きいです。私が死なずにいたのも奇跡に近いです。(現在の主治医に言われました)

 

精神的にも体力的にもギリギリで、さすがの主治医からも入院の話が出ました。

「次の受診で入院しましょう」

言われたときは、休めるならそれでもいいと思い承諾しました。

 

入院の準備を済ませ、いざ当日。前回の入院での嫌な思い出が蘇り、

「やっぱり入院はしません」

と言って病院から飛び出しました。

 

とりあえず家に帰ろう。帰って母を説得しようと思いました。

家から車で30分かかる病院から徒歩で、歩いて帰ろうとしました。

 

スマホも財布も病院において来てしまったのでとにかく家に向かって歩きました。

 

あと10キロ位のところで、突然パトカーに呼び止められ警察に捕まりました。

そして病院へ強制連行されました。

 

(精神科病棟に入院してる人が脱走したりすると、警察に連絡しなければいけない決まりだそうです。この時私は入院を断ったつもりでいましたが、強制入院になっていたらしく、主治医の許可なく逃げ出した、脱走した人。という扱いになり、警察が探し回っていて、それに捕まった。という形です。) 

 

病院についてからは何の説明もなく、保護室に入れられました。

分厚い大きな鉄扉と、牢屋と同じ鉄格子で閉ざされた部屋でした。

部屋にはトイレと床に薄い敷布団しかありません。スマホも没収でした。

読んでも誰も来ない、部屋からは出られない地獄のような空間でした。

 

数時間たって、鉄扉の下の小さな扉(20センチくらいの隙間)から食事が出されました。

母とも会話ができず、主治医からも何の説明もなくとても不安で苛立ちもありました。

 

一週間保護室で過ごしました。何もない、誰もいない、出られない。とても孤独でこのまま一生出られないんじゃないか、ととても不安、恐怖でした。

 

一週間過ぎたころ、部屋が空いたとのことで閉鎖病棟のほうに移動になりました。やっとこの独房から出してもらえ泣きながら安心しました。

 

ですが、病院内の雰囲気や看護師さんたちの態度は以前と変わらずでした。

主治医との面会のたびに退院したいと伝えましたが、保護入院のため医師の許可なくは退院できませんでした。

この後私は病院を抜け出し事件を起こすのですが、それは次に書きたいと思います。

ではまた。

2月6日ほめ日記

・雪かきを頑張った

・朝の体調不良、メンタル不調から切り替えて一日行動できた

・歯医者の予約取り直しの電話をできた

・母と楽しくドライブをした(雪で道やばかったw)

・お昼をきちんと食べられた

・犬と沢山遊んだ

 

5日の日は朝家で内職をして、それから作業所で相談員さんと職員さんと会議をしました。頑張って話に行けたし、家で内職をしてから行けた!すごく頑張れた!偉い!

 

今日は6時に雪かきをしました。気圧のせいもあって、体調メンタルが不調でしたが、1時間ほど休んで気持ちを切り替えることができました。

私の場合気圧に勝つのはとてもすごいこと!なかなか切り替えるのが難しいですが、今日は頑張れました。すごいぞ私!

 

お昼少し前に姉の家へ届け物をし、その足で丸亀製麺でお昼を食べました。美味しく頂けて嬉しかったです。

買い物をして帰りました。帰った後は、犬と沢山遊びました。散歩に行ったり、雪遊びをしたり一緒にエンジョイしました。

 

お洗濯とお皿洗いなど家の事もしっかりできてよかったです。

 

反省点もあります、、、、

楽しく幸せで充実した一日だったはずなのに、摂食障害は付きまといます。そう簡単には消えてはくれません、、、、、

夕方ごろスーパーで食材を買い込みました。

母が寝たら過食嘔吐をします。 

 

良い一日だったはずなのに、、、

私にとっての過食嘔吐はどんな意味があるのだろう。

どうしてしてしまうのか、原因は何か。

過食嘔吐に代わるものはないだろうか。

 

諦めず、逃げず上手く行かなくても、向き合って考えて克服の意思は持ち続けたいです。

ほめ日記になってるかな?汗

ではまた

2月3日ほめ日記

・お世話になってる方にお菓子を焼いた

・祖母のお見舞いに行った

・犬の散歩を沢山した

・進行中の計画をすすめられた。

 

毎日の日記はなかなかに手ごわいです汗

継続することが大切。毎日じゃなくても、ちゃんと自分が頑張ったことを記していきたいです。

 

母が珍しく二連休でした。一緒に過ごせて楽しかったです。私は気分の波があり迷惑をかけてしまうこともありましたが、それを理解し一緒にいてくれる母にはとても感謝しています。

二日間お昼もちゃんと食べることができてよかったです。明日も頑張ります。

ではまた。